「禊(みそぎ)」とは何か?
皆さんは、「禊(みそぎ)」について知っていますか?
禊は、私たちのご先祖様たちが伝承してきた日本古来の生活様式です。
禊とは「身・削ぎ」であり、私たちの身についている余計なもの
(観念・固執・嫉妬・恨みなどの雑念)を削ぎ落す行(ぎょう)の一つです。
禊というと、修験者がしている滝行のイメージがあるかもしれませんが,,海や川、湖など清らかな水がある所でしたら行うことはできます。
昔から日本人は、「水は汚れたものや付着したものを浄化する作用がある」と考えていました。
人と人との間に何か「遺恨(いこん)」があったとき、「もうそのことについては、水に流そう」なんて言うこともありますよね。
私たちの体には多くの毛穴(数十万個と言われています)があり、禊をすることで私たちの毛穴から余計なものが出て、清らかな体になるのです。
つまり、今風にいうと禊は天然の「超音波洗浄機」に体を入れて、洗うことと同じです。(笑)
神社やお寺を参拝する前に手水舎で手や口を清めたり、日本人が大好きな「入浴」も、この禊の習慣から来たといわれています。
「禊」はいつから始まったの?
禊の歴史は大変古く、神話の時代に遡ります。
皆さんがよくご存じの、日本最古の歴史書『古事記』の中に禊のことが記載されています。
日本の国土を作り、多くの神々を生んできた、伊弉諾大神(いざなぎのおおかみ)が、「筑紫の日向の橘の小門(おど)の阿波義原(あわぎはら)」で禊をしたのが、禊の始まりです。
禊の衰退と復興 『川面凡児』翁
神話の時代から行われてきた「禊」ですが、奈良朝以後に衰退していったようです。
そして、その後、衰退した「禊」を復興させたのが、『川面凡児(かわずら ぼんじ)』という方で、16歳から18歳の間、古来宇佐神宮の本体とされてきた「馬城山」で、修業をしているときに、仙童から奈良朝以前の禊流の秘事を直接伝授されたと言われています。
この『川面凡児』翁の直弟子が中西旭先生で、その中西旭先生の弟子が、私の師匠の表博燿(おもてひろあき)先生になります。
今、なぜ「禊」が必要なの?
私たちは日々将来への漠然とした不安、仕事のストレスやお金の問題、子育てや介護、健康問題などを抱えながらも、生き甲斐や幸せになる道を模索しながら過ごしています。
そして、思っている以上に目に見えない自分の中のネガティブな感情(恨み、辛み、嫉み、嫉妬など)や自分や他人に対する期待、周りの人から受ける雑念・想念などに振り回され疲れています。
それらの根本にあるのが、無意識の観念(思い込み)です。
例えば、
「周りの人に迷惑になるから、休んではいけない」
「みんなと同じようにしないと嫌われる」
「いい子でいてほしい」
「〇〇さんは、上手くいってていいよね」
「〇〇さんだけには負けたくない」
のような
私たちが幸せに生きていく上で必要ない「ネガティブな感情、期待、雑念、無意識の観念」
を取り払い、自分に自信を持ち、周りに流されず、心豊かな生活を送りたいと思いませんか?
それらを取り除く方法の一つが、古来から日本に伝わる「禊」です。
「禊」をするとどうなるのか?
禊をすると・・・スッキリします。(^^) それは単に気持ちがいいということではなく、魂が喜ぶ感覚です。
なぜ、そうなのかというと、「禊」は神様(大宇宙)と自分の魂をつなげる奥義だからです。
禊を何度もし、体にへばりついた自分にとって必要でない観念や雑念を削ぎ落していくと、神様とのパイプが太くになっていき、あなたの魂はさらに浄化されていきます。
そして、浄化されたピカピカの魂(赤ちゃんの自分)は、生まれて来る前に約束してきたあなたの「お役目」を思い出していきます。
さらに、その「お役目」を果たすことで、神様(大宇宙)からの応援を受けて進んでいきます。
実は神様は、私たちに幸せになってほしいと願っていて、1人1人生まれてくる際に才能を授けてくれています。
「お役目」を無事に果たせるようにと。
それは、無理せず、楽しく、自分らしくできること。
その世界は、競争もなく、争いもなく、自分も周りの人も幸せにできること。
好きなことなので、頑張っている気がしない。
ただただ、楽しいからやりたいからやる。
そして、魂が喜び「お役目」を完了すると、魂は次のレベルへ上がっていきます。
死ぬ直前には、悔いなく笑顔で旅立つことができるかもしれません。
<過去の禊の会>
古より伝わる奥義【禊】体験 & 成田山新勝寺参拝
日本誕生の地 淡路島での【禊】体験 & 伊弉諾神宮参拝
古より伝わる奥義【禊】体験 & 麻賀多神社参拝
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