今、大河ドラマ『麒麟が来る』の主人公は、
『本能寺の変』を起こした明智光秀です。
その光秀が、何故、謀反を起こしたのか、
真実はわかっていません。
これから、このブログの主題である
「日本人とは何ぞや?」
という視点で、動機を考えてみたいと
思います。
あくまでも、私個人の意見ですので、
ご容赦願います。

さて、なぜ明智光秀が『本能寺の変』を
起こしたのか?
私は、以下の動機ではないかと思います。

・氏族(お家)を存続させる事、
 もしくは、発展させること。

信長への怨恨説だったり、
天下を取りたかったという野望説など、
所説あるのですが、
これが、動機の根底にあると思います。
おそらく、状況的に、一族の存続が
危ぶまれていた状態であり、
一族を守るために行動したという事です。

その事は、歴史的に見ても、日本人は
自分たちの一族(お家)の事をとても
大事に扱います。
子々孫々まで、一族(お家)が長く続き、
発展していくことを望みます。
特に、武家にとっての家は、何よりも
大事であり、その家を守ってきたご先祖様を
大切にし、自分の代で家が無くなることを
極力避けることをしてきました。
例えば、「応仁の乱」や「関ケ原の戦い」などが
始まった時、多くの家が、
「兄」と「弟」、「父」と「息子」に
別れて、戦いに参加しました。
この状態であれば、どちらか勝った方の家が
残りますね。

また、本家の跡継ぎが途絶えそうになった
場合には、一族(分家)の中から
相応しい男子を継がせます。
分家にもいない場合には、他家から養子を
迎えることもあります。
江戸時代中期の米沢藩(上杉家)では、
『上杉鷹山』という人物がいました。
この方、傾いていた藩の財政を立て直し、
豊かな藩に導いた名君なのですが、
彼は、秋月家からの養子です。

特に、江戸時代は、跡継ぎがいないだけで、
その家は「お取りつぶし」となりました。
現藩主が存命の間に、跡継ぎを任命し、
幕府に届け出をしておかないと、
急に藩主が亡くなってしまった場合、
跡継ぎがいないというこで、
「お家お取りつぶし」に
なっていたのです。
江戸時代の初期には、かなり多くの藩が
この決まり事が有ったために、
「お取りつぶし」になったようです。

このように、日本人は、

一族(お家)大事

とする、基本的な考えを持っていたと思います。
如何に一族(お家)を存続させるのか?が
当主にとっての最大の使命であったと言っても
過言ではありません。
ましてや、強い者だけが生き残れる戦国の世で、
一族を守り続けていくことが、どれだけ大変なのか
その時代の人であれば、良く理解していたと思います。

では、明智光秀の一族がどのようなお家だったのかは、
次回のブログで書きたいと思います。
ではまた。